記念すべき初記事はこちらにしてみました。(2021/06/27リライト)
教員にも教員志望者にも保護者にも、子どもに関わる大人すべてに見ていただきたいと思います。
それでは今日は潜在的カリキュラムについてお話をしていきます。
潜在的カリキュラム(ヒドゥンカリキュラム)について聞いたことはありますでしょうか。
潜在的カリキュラムとは
教育する側が意図する、しないに関わらず、学校生活を営むなかで、児童生徒自らが学びとっていく全ての事柄(文部科学省HPよりhttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/jinken/06082102/004.htm)
ということです。
つまり、「人の姿を見て子どもは育つ」ということですね。
教育に関わる方々はこれをしっかり意識してほしいと思います。
ここが大事なところなのですが、
良いことも悪いことも学んでしまうのが潜在的カリキュラムの重要性です。
ちなみに潜在的カリキュラムの対義語は顕在的カリキュラムで、
意図した教育内容のことを指します。
これは、皆様普段意識的に研究されているでしょうから省略します。
では、潜在的カリキュラムとはどのような例があるでしょうか。
- 教員がゴミ拾いや教室掃除を率先して行うことから、掃除の大切さや向き合い方を学ぶ
- 笑顔であいさつすることによって、笑顔であいさつすることの気持ちよさが伝わる
- 授業などの時間を守ることで規範意識が身につく
- 間違いは素直に謝ることで、謝ることの大事さが分かる
などでしょうか。モラル・マナー的な側面が強そうですね。
小学校では先生の板書の字を見て書き順を覚えてしまう、というのも潜在的カリキュラムの一つかもしれません。
(書き順問題には触れません。)
日本は特に潜在的カリキュラムの意識は強いのではないでしょうか。
昔から「背中を見て育つ」とか「見て学べ」と言われるように、人の振る舞いから物事を学ばせる文化があるようです。良いかどうかは別として。
逆を考えましょう。
・教員が教室や廊下が汚くても掃除しない
→掃除は掃除の時間にやるものだから私が今やる必要はない
・教員があいさつをしない
→あいさつはしなくてもよいものだ
・教員が時間を守らない
→先生が時間を守らないなら私も守らなくてもいいや
・教員が自分の誤りを認めず、謝罪しない
→先生が謝らないから私も謝らない
となります。私はこちらを危惧しています。
悪い影響の方が強く影響を受け、残りやすいように感じます。
良い影響は少しずつしみ込ませていくのに対し、悪い影響はすぐに染まります。そして、子どもに反論の余地を与えます。
時間は守りなさい
せんせーだって守ってないじゃないですかー
さぁ困ったもんです。こうなってからなんとか教育しようと思っても難しいものです。
さらに困るのは、自分ではなく、「○○先生もしてたよ」と他の教員から悪影響を受けてしまうことです。うるせーしらねーー
子どもからも同僚からも評価が下がってしまいます。避けましょう。
24時間先生である必要はないですが、せめて学校の中にいるときは、自分の姿が教育そのものだという意識で生活しましょう。
先生のモノマネをやる子どもがいますよね。子ども達はそれくらい先生の姿をよく見ています。
もちろん、自身が誰に見れられても恥ずかしくない言動をしていれば、良い影響を与えることもできます。
どうせ教員をやるなら「先生みたいな人になりたい」って言われたくないですか?
明日からまた頑張りましょう!
この記事が行動変容のきっかけになれば嬉しいです。
ご閲覧ありがとうございました!
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